第18話 スペクター
最近、ちょっと思っていたことがある。なんだか、調子が良すぎないか? 何かの前触れじゃないか? 状況が上向いてきたからこその、漠然とした不安。
そんな予感ばかり、よく当たる。ダンジョン地下二階で起きたのは、致命的な異変だった。
「……ケイブチキン、飛んでないな」
「はい。おかしいですね。いつもだったら羽音が聞こえるのに」
ほの明るい洞窟内。この階層に降りれば、嫌でも耳に入るニワトリの鳴き声と羽音。そちらに向かえば容易く群れに遭遇する。ケイブチキンをメインターゲットにしてから、常にこの方法で捕捉していた。
その喧しい音が、今日は全く聞こえない。多少距離があっても、遠方から響いてくるのに。
「ちょっと、歩いてみるか」
「はい。気を付けて進みましょう。小百合、いいな?」
「いつでも呪文を使えるようにしておきます」
あからさまな異変。気を引き締めざるを得ない。大盾をしっかり握りしめて前進を開始した。
俺たちは地下二階をほとんど探索していない。目的はケイブチキンの狩猟であるし、それはすぐに見つかる。いつも群れているから、1グループ倒せば目的完了。そのまま地上に戻ってしまう。
なので、探索をしていない。ケイブチキンの群れが飛び回るこの場所は安全ではない。地下三階へは今の所用はない。それを探すという目的でもない限り、わざわざ危険地帯をうろついたりしないのだ。
周囲は静まり返っていた。時折見つかるのはこけ玉のみ。こいつらはダンジョンの清掃屋なので、何処にいてもおかしくない。ニワトリのハネやフンが落ちていないのも、こけ玉が食ったためだろう。
ちなみに、こけ玉は多くのモンスターにとって餌でもある。ダンジョンという特殊環境に適応したのか、誰かがデザインしたのか。学者先生たちは未だに結論を出せていない。
「いない、な」
「原因があるはずです。理由なくダンジョンが変化した例はありません」
「ダンジョン発生原因そのものは、いまだにわかっていませんけど」
「サッチー、いいツッコミだ」
軽口を叩かないと、緊張に負けてしまいそうだった。冷や汗が流れる。通いなれたダンジョンに、未知が広がっていた。
歩いた時間は、せいぜい10分程度だろうか。体感的にはその三倍だった。じりじりと気持ちが焦れる。そしてそれは現れた。
「あれは……何だ?」
端的に表現すれば、それは人型の黒いガスだった。濃厚な気体が、頭と手足を象っている。そして心臓があるべき部分には、これまた黒い結晶が浮いていた。今までダンジョンで見たどれよりも、ファンタジーかつ不気味。そして、恐怖を感じさせるものだった。
「あれは、まさか」
「知っているのかかっつん」
「スペクター……下がりましょう、先輩。あれは危険です」
その警告は遅かった。こちらの気配を察知したのか黒いガスことスペクターの首が勢いよくこちらにひねられた。
見つかった、と思う間もなかった。突如ヤツの右腕が不格好に肥大化する。すると肩から切り離され、音を立てて一直線に飛んできたのだ。
「マズッ」
咄嗟に大盾を構える。今まさに飛び掛かろうとするスペクターに対して、防御の構え。が、全く予想してなかった衝撃が横から叩きつけられ、転倒する。勝則が体当たりをしてきたのだ。
「何をっ」
「あれは防げません! 避けるしかないんです!」
問答の最中、倒れた俺たちの上を通り過ぎていく空飛ぶ腕。後方にいた小百合の後ろまで飛んでいき、音を立てて爆発した。
「はーーー!?」
なんだあの威力。直撃したら良くて転倒、悪くて重傷だぞ。当たり所が悪ければ、即死もありうる。一匹のモンスターが持っていていい攻撃じゃないだろう。理不尽!
「小百合!」
「はい! スパークッ!」
兄妹、阿吽の呼吸。俺たちの頭上を、今度は稲妻が通り抜けていく。光の速さで到来したそれから、怪物は逃げることができなかった。左肩に命中。腕がもげる(※他表記あわせ)大ダメージ。
これで両腕消滅で無力化、と思いきやさっき自分で飛ばした右腕が復活しつつあった。なるほど、回復するなら撃ち放題か。ガッデム。……いや、魔法でダメージを貰った方は復活する様子がないな。
「先輩、今のうちに下がって! カット!」
今度は勝則の魔法。右脚が吹き飛ぶ。……が、残念なことに転倒しない。腕がもげればその分バランスが可怪しくなるはずなのに、その様子もない。片足で走ってくる。飛び跳ねてはいない。まるで右脚など失っていないように、普通のフォームで迫ってくる。
つまり、物理法則で動いていないということだ。これは確かに、まっとうな手段で倒せない。はいずり、転がるように距離を取る。
「出鱈目だろう、ちくしょう!」
幸いにも、魔法による攻撃は効果が出ている。しかもよく当たる。一発ごとに体積がはっきりと減っている。これなら削り倒せるだろう。そう思っていたのに。
「数が増えました! 兄さん、先輩!」
今戦っているやつの背後から、さらに追加で二体やってくるではないか。まだ距離はある。だけど参戦されたら対応しきれない。
「逃げるぞ! 先輩、立って!」
「くっそ!」
無力感に苛まれながら、元来た道を引き返す。迫ってくる敵をけん制しながら下がる二人。道を間違えないように先導する。入り組んでいるわけではないが、分岐がないわけでもない。こんな時の為に簡単ながら地図を作っておいてよかった。
敵に追われながら逃げる、というのはかつてない苦労があった。まず精神面。余裕がない。視野が狭まる。己の無力さからなる恐怖。二人への心配。道を間違えるのではないかという不安。あの爆発攻撃をもう一度されるかと考えると足がすくむ。
もしケイブチキンの群れがいたら、さらに苦労していただろう。負傷するだけでは済まない事態にも陥っていたかもしれない。
精神状態は肉体にも作用する。当たり前の行動がとれない。いつも以上に疲労する。これまで、緊張からそういった状態になるのは何度かあった。経験があるから自覚できたが、だからと言ってどうにかできる話でもない。
こういった事を考えられる、わずかな冷静さ。それだけが頼りだった。そして幸いにも、目的地にたどり着けた。
「階段が見えたぞ、走れ!」
二人を促し、駆け上る。本当は殿を務めたい。だが、今の俺は足手まといでしかない。であれば、一秒でも早く二人が逃げられる状況を作るのが正解。俺が残っていては、二人はきっと逃げようとしないから。
「先輩避けて!」
警告に反応できなかった。左肩に叩き付けられる衝撃、遅れて痛み。焦げた匂い。
「ぐあぁっ」
痛みにかすむ瞳で確認すれば、何かを投げきった状態のスペクターの姿。これは、奴の仕業か。爆発以外にもこんな技があるのか。
そのスペクターも小百合の稲妻に吹き飛ばされた。だが、通路の奥からさらに黒い影が走ってくるのが見える。これで5体、いやさらに増えて6体? 無理だ。
「魔力収束、効果拡大、範囲拡大!」
しかし、勝則は諦めていなかった。この瞬間、最後の切り札を開示した。
「テンペスト!」
光り輝く両手を、敵に向かって突き出す。生み出された渦巻く風が、通路を満たした。さながらコインランドリーの中のように、スペクターのみならず岩やらこけ玉やらが巻き込まれていく。ぐるぐると回り、互いにぶつかり合う。アレではまともに動けない。
こんなことまで出来るようになっていたのかと勝則を見やる。強力な風を生み出していた彼が、片膝をついた。
「かっつん!」
駆け寄り、肩を貸す。額からは冷や汗がしたたり落ち、顔色は真っ青。かなり無茶したことが容易に分かる。
「せん、ぱい。血が……」
「んな事は後だ! 帰るぞ! サッチー、止め任せた!」
「任されました! 先輩は兄さんを!」
「おう!」
閃光が弾ける通路に背を向けて、勝則と共に階段を上っていく。肉体は苦痛と疲労を訴えている。息が切れて、酸素が足りない。力が抜けた勝則の身体は重い。
だからなんだ。ソレがどうした。やるべき事は決まっている。やりきるだけだ。骨は無事。筋肉は動く。血もまだある。身体はまだ動く。ヨシ!
階段を上りきった。だが安全ではない。ビッグアントの住処だし、スペクターが追ってこないとも限らない。前へ。ただただ前へ。地上へ。家へ。安全な場所へ。
「先輩! 先輩! 止まってください先輩! スペクターは追ってきていません! 一度休んで!」
小百合の悲痛な声が、脳に届く。その瞬間限界が来た。身体を投げ出すように倒れる。一緒に勝則も床にダイブする。申し訳ないことをした。
「先輩! 兄さん!」
「俺は、大丈夫だ。それより先輩の応急処置を」
「はい!」
身体を起こされ、ダンジョンの壁に身を任せる。されるがままになる。
「先輩、左手に感触ありますか? 触ってるの分かりますか?」
「ある。わかる」
「傷口も……よし。水で流します」
水筒の水をぶっかけられる。そうか、こういう利用目的があったからいつも水を常備していたのか。そんなことをぼんやりと考える。
「ガーゼを巻きます。ちょっと痛みますけど我慢してくださいね」
テキパキと、まるで医者か看護師かというような手際の良さで応急処置をしてくれる。一体どこで学んだのやら。まあ、こいつらが話してくれるまで聞くつもりはないが。
それよりも、知っておくべき事がある。
「かっつん、話せるか」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
「お互い様だ。それより、ありゃなんだ。なんであんなもんが家のダンジョンにいる」
黒いガス状のモンスター。アレはあまりにも、異質だった。今まで遭遇した連中はいろいろ不思議はあったが物理の枠にいた。……こけ玉は生物の枠に入れてよいかやや怪しいが、それでも悪意がない。
スペクターは、はっきりと敵意を向けてきた。さらに、わずかながらも知恵がある。ものを投げる。遠距離攻撃ができる。それだけで驚異度が跳ね上がる。
くわえて、物理無効という特殊性。なんというか、ジャンルが違う。別ゲーのエネミーが乱入してきたかのようだ。
「先輩。以前、東京のハンターが何人も行方不明になったという話をしたことを覚えていますか」
「覚えてる」
「あのスペクターは、その原因ではないかと噂されているモンスターです。あれらの特殊性を考えれば、考えられる話だと」
「……まあ、普通じゃないものな」
数が多い。ダメージを負っても行動し続ける。繰り返しになるけど、物理無効。一般人にとっては絶望的な強敵。魔法を使えば倒せるようだが、楽勝というわけでもない。
企業に雇われるレベルであるならば撃破できるだろうが、万が一はあり得ると関係者が考えるのも分かる。
「スペクターそのものについては分かっていません。複数のダンジョンで発生記録があるモンスターです。ご存じの通りモンスターは階層によって生息域が決まっています。しかしスペクターはこのルールに当てはまりません。今までいなかったのに、唐突に現れるのです」
うちで言うなら地下一階にビッグアント。地下二階でケイブチキン。こけ玉は全階層に現れるので例外。ダンジョンによって若干の差があるが、強さはかなり似ているらしい。
これらのモンスターはこけ玉を除き階層を跨いで現れることがない。住み分けなのか、別の理由なのか。これも解明されていない項目である。
「特徴はご覧になった通り。危険で、対処が難しい。さらに厄介な性質があり、退治されない限り消えることはありません。加えて、時間が経つと数を増やします」
「迷惑極まる。よそ様はどうやって対処していたんだ」
「ほかの企業に依頼して増援を募り、数の力で押し切っていました。いわゆるレイドというやつです」
対処できないわけでも、倒せないわけでもない。だけどその手はうちでは使えない。魔法使いを雇用しているダンジョンカンパニーとのツテコネがない。加えて、対処してもらった場合の礼金も支払えない。金で動いてくれるかもわからないときたものだ。
「ひとつ、自分たちにとって希望を持てる情報があります。スペクターの群れの中にはボスがいて、ソレを倒されると全滅するのです。理由はやはり解明されていませんが……」
「希望はある、か。でもそれには、取り巻きを減らさなきゃいけない」
「処置、おわりました。あとは家にもどってからです。先輩、心配しないでください。私たちが何とかします。ねえ、兄さん?」
努めて明るく、小百合がそう言ってくれる。勝則も、壁に手を突きながらも立ち上がる。
「ああ。さっきの戦いで、ある程度把握は出来た。スペクターは倒せる。一度に倒せなくても、数回に分けて戦えばある程度の安全を確保したうえで駆除を進めて行けるだろう。俺たちにお任せください、先輩」
青い顔に笑顔を浮かべてそう言ってくれる。俺は返答に詰まった。ダメだ、と言いたかった。だがそれは俺のわがままだ。ここでそれを言う資格は、俺にはない。
「ああ……とりあえず、家にもどろう」
「そうですね。ビッグアントがそろそろ寄ってきそうですから」
「帰り道も私にお任せください。ビビビっと倒します」
そんなやり取りをしつつ、俺たちは地上に戻った。
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