第27話

 ついディートハルトの方を窺うと、彼もまた件の会話が聞こえているのか、耳がうっすらを赤くなって、こちらに向けて先ほどのようなそわそわもじもじする視線を向けてくる。


(これも、宰相として国民の嗜好を把握する範囲内なの――⁉)


 慄くのに、胸の奥底で、ほんの少しだけ好奇心が疼くのも正直なところで。

 アイスクリームを、あーんしたら、ディートハルトはどういう反応をするのだろう。


 照れる? それとも喜ぶ? そんな想像を巡らせてそわそわした。


 そんな折、注文したアイスクリーム★天国が運ばれてきた。

 細かく砕いたパンケーキの上に丸いアイスクリームの塊が複数と、季節の果物とチョコレートソースがドドンと乗った豪華な一皿だ。


 銀のスプーンを二人同時に手に取った。

 その瞬間に目が合う。


 ディートハルトはどこか落ち着かない気配でイルーゼから視線をそらしてしまう。その耳が少しだけ赤いように見え、イルーゼはつい悪戯心を発揮した。


「ディートハルト様、あーんして?」


 スプーンで掬ったバニラアイスクリームを彼の唇へ運べば、一度ぴたりと体を静止させたあと、おずおずと口を開けた。


「!」


 まさか乗ってくるとは思わず、イルーゼの方が気恥ずかしくなってしまう。女の子同士ならノリでできるけれど、男性相手、それも一国の宰相閣下相手に一体何をやっているのか。たちどころに頭の中の冷静な部分が突っ込みを入れた。


 しかし、口を開けてアイスクリームを待つディートハルトをそのままにしておくわけにはいかない。自分から仕掛けたのだから最後までやり遂げなければ。

 勢いだけでスプーンをディートハルトの口の中に突っ込んだ。


「うまい」

「そ……れは、よかったです」

 かああ……と顔に熱を集まるのを悟られたくなくて下を向く。


「イルーゼ、次はきみの番だ」

「へっ⁉」


 びっくりして上を向くイルーゼに、ディートハルトがにやりと笑った。

 一口大にちぎられたパンケーキとアイスが乗ったスプーンが目の前に運ばれてきて、イルーゼは、こうなったらやけだとぱくりと食べた。


 その瞬間、ディートハルトが嬉しそうに微笑むから、イルーゼはどんな顔を作っていいか分からなくなった。


 甘い。口の中もこの場の空気もどちらも甘すぎる。

 ディートハルトの醸し出す柔らかな気配に当てられたせいか、こういうのも悪くないと思ってしまう。


 やおらディートハルトの顔が近付いてきた。

 唇同士が触れ合う。わずか二、三秒のことだった。


「きみの方が甘くておいしい」

「!」


 目を閉じる暇もなくて、彼の眼差しを間近で見つめた。

 その中にアイスクリームを食べた時は違う喜びが宿っていたように感じのはイルーゼの気のせいだろうか。


 短い口付けが離れた直後、胸がきゅうと切なく震えた。

 彼の熱を名残惜しいと感じた。


 すぐに離れていかないで。前はもっと長かったのに。


 胸の奥に湧き起こった願望を認めた途端、イルーゼはどんな顔を作っていいのか分からなくなって固まることしかできなくなった。


*


 あの初デート以来、ふとした時にディートハルトの顔ばかり思い浮かぶようになってしまった。

 不意打ちの口付けに、お会計時のやりとり、そのあとはいつかの通り沿いを冷やかし歩きして、最後は旧城壁と水堀あとに作られた環状道路(リンク)沿いの遊歩道公園のベンチに座ってのんびり過ごした。


(でも、口付けはアイスクリーム店での、あの一回だけだったのよね……)


 切なさを宿した心の声に、一拍後イルーゼは飛び上がりそうになった。


(ななな何を考えているのよ!)


 まるで一回だけでは寂しかったと考えているようなものではないか!

 おかしい。つい最近まで彼の変態疑惑に悩みまくっていたというのに。


(あ、あれはお宅訪問したいって言ったわたしも阿呆だったわけで……)


 色々なことをすっ飛ばしたことにも原因があった。


 二日前のデートのあとからずっとこんな調子で頭の中は騒がしい。


(だめよ、今は勤務時間内なんだから。ちゃんと仕事モードに専念しないと)


 ぷるぷると頭を振って、頭の中を切り替える。

 主が書いた手紙(といっても公的なものの大半はイルーゼたちが代筆したものだが)を官僚や、宮殿専任の配達員に託したあとは、次の公務に向けた資料作りの準備だ。


 ハイデマリーは『退役軍人を支える婦人の会』という団体が主催する集まりへ臨席する予定になっている。

 夏の終わりに国を離れるハイデマリーのもとには、さまざまな集まりの主催者から臨席を要望する案内状が舞い込んでいる。

 皆、国のためにレイティスへ嫁ぐハイデマリーに最後に会いたいのだ。


 どの集まりに参加するかは、国王や王太子の意向を踏まえ、内宮府の事務官とフリッシュ夫人の話し合いで決められる。

 退役軍人を支える婦人の会はその名の通り、退役軍人の妻や娘たちで構成され、さまざまな慈善活動に取り組んでいる国内でも有数の婦人団体だ。

 そのため年に一度は王族が彼らの集まりに参加している。


「前回の会合には第三王子殿下がご夫婦で出席なさいましたね。ちょうど殿下のご婚礼後のことでしたので、話題も婚姻についてが多くを占めていました。これが前回の出席者名簿と記録でございます」

「ありがとうございます」


 内宮府の事務官から書類を受け取ったイルーゼは、建物の外に出た。

 歩いて向かう先は、軍部施設である。宮殿に隣接する軍本部へ向かい、現婦人の会会長夫人の夫、レヒナー男爵の現役時代の勲章歴を記した資料を受け取りに行くのだ。


 イルーゼは外の眩しさに目を細めた。

 ちょうど太陽が真上にやって来ている。青い空がいつも以上に色鮮やかに見えるのはどうしてだろう。最近、やたらと世界がきらきらと輝いている気がするのだ。


「イルーゼ」


 どうしよう。ディートハルトの空耳が聞こえてきた。

 今は勤務中なのだ。もっと気を引き締めなければ。

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